外国人と一緒に仕事をしていると、時々スピーチを英語でしなければいけないこともあるでしょう。

 

でも、何を話したらいいのかわからない。

伝えたいことはあるけれど、どうやってスピーチを作ったら良いかわからない、という悩みもあるでしょう。

 

実は、世界の人々の心を震わせるスピーチには大きな特徴があります。

裏を返すと日本人が日本人に向けて話をする感覚でスピーチを作ってしまうと、世界の人々には響きにくいということです。

 

今回は、翻訳者であるからこそ気がついた、世界の人々の心を震わすスピーチの特徴をお伝えします。

ぜひ、参考にしてみてください。

 

世界の人々の心を震わしたスピーチの特徴とは?

過去10年、20年くらいで世界の人々の心を震わしたスピーチを聞くと、多くのスピーチの最初の三分の一から半分は自分のことを語っています。

 

たとえば、スティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学の卒業式スピーチは以下のようにはじまり、自分自身の体験を語ります。

 

「私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。」

 

バラック・オバマ元大統領を大統領候補にまで押し上げた伝説のスピーチもそうでした。

このスピーチは当時、民主党候補として大統領選挙に出馬していたジョン・ケリー氏を応援するために民主党全国大会(2004年7月27日、マサチューセッツ州ボストン市)で行われたスピーチでした。

 

彼もまた、スピーチの前半で、以下のように自分がどこからきて、どういう人間なのか、という話をします。

 

「私の父親は外国人留学生で、生まれも育ちもケニアの小さな村でした。

彼はヤギの群れを見張り、トタン屋根の学校に通っていました。彼の父親、私の祖父は、料理人で、英国人の召使いでした。

しかし、祖父は息子に大きな夢を託しました。

厳しい労働と不屈の努力で、私の父に奨学金をとらせて、ずっと前にここに来た人々と同じように、自由とチャンスの星として輝く夢の国、アメリカで勉強をさせたのです。

勉強をしながら、私の父は私の母と出会いました。彼女は世界の反対側のカンサスにある町で生まれました。

彼女の父親は石油採掘装置と畑の上で、大恐慌時代を働いて過ごしました。

パールハーバーの次の日、私の祖父は軍務に就きました。ヨーロッパを横断するパトンの軍に加わりました。」

 

Amazonの創業者であるジョン・ベゾスもまた、プリンストン大学の卒業式スピーチの冒頭で以下のように語ります。

 

「子供の頃、夏は祖父母と彼らの所有するテキサスの牧場で過ごしました。私の仕事は風車を直したり、家畜の予防接種をしたり。よく牧場で祖父母の手伝いをしたものです。午後になるといつも皆でテレビのメロドラマを見ました。

祖父母はキャラバンクラブのメンバーでした。キャンピングトレーラー(エアストリーム)の所有者が集まって、皆でアメリカ·カナダ内を旅しようというサークルです。私たちは毎年ではないながらも、たくさんの夏をキャラバンに参加して過ごしました。祖父の車にエアストリームを接続しおよそ300人のメンバーたちとともに旅に出かけたものです。」

 

みな、まずは自分がどこからきた何者かを語り、聴衆と何の変わりもない一人の人間であることを示します。

 

もしくは、一般的な人よりも自分は恵まれていなかったという話をします。

そして、誰にでも共通するような幼い頃のエピソードを語ったりもします。

 

そのようにすることで、聴衆はスピーカーの体験に自分を重ねたり、自分にもできるかもしれない、と元気づけられたりするのです。

 

すなわち、スピーチで語る内容を「自分ごと」として捉えられるような話し方をするのです。

 

なぜ、日本人のスピーチには世界の人々の心を震わせる名演説が少ないのか?

世界的に有名な日本人のスピーチはほとんどありません。

そもそも、世界の人々の前で話をする機会が圧倒的に少ないということもあるのでしょうが、スピーチをしたとしても、聴衆が共感するようなスピーチもほとんどないのです。

 

たとえば、上野千鶴子先生の平成31年度東京大学学部入学式の祝辞です。

冒頭は以下のようにはじまります。

 

「ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。」

 

このように、伝えたい社会問題にいきなり突入してしまいます。

わかりやすくて良いのかもしれませんが、関心のない学生には響かない内容だったかもしれません。

 

同じく、東京大学の演説です。

2015年3月に教養学部学位記伝達式で当時の学部長だった石井洋二郎氏が語った式辞が有名です。

その冒頭はこのようにはじまります。

 

「東京大学の卒業式といえば、もう半世紀も前の話になりますが、東京オリンピックが開催された年である1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉が思い出されます。いわく、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」。

 当時、私はちょうど中学校にあがる年頃でしたが、この言葉は新聞やテレビでかなり大きく報道されましたので、鮮明に記憶に残っております。また、子供心に、さすが東大の総長ともなると気の利いた名言を残すものだと、感心したこともなんとなく覚えております。皆さんの中にも、どこかでこの言葉を耳にしたことのある人は少なくないでしょう。」

 

また、世界的に有名な緒方貞子氏が、世界人権問題研究センターの創立20周年記念講演会で行った講演もあいさつや、前置きが長かったのですが、講演内容の導入部分は以下のようなものでした。

 

「近代社会において『人権』は極めて重要な原則であり、考え方であるということは、九九年の講演のときから変わらず、今まで続いています。どうして国際的に人権が正面から取り上げられるようになったのか経緯を申しますと、まず1945年の国連憲章に『基本的な人権と人間の尊厳及び価値』に関する信念がはっきり確認されております。そして『社会的進歩と生活水準の向上とを促進』するために平和と安全を求めていく、それに当たって人権の保護が大事だということが認識されております。」

 

緒方氏もこのスピーチで社会課題にいきなり入るというスピーチを行っています。

これらの演説を決して悪い演説だと言っているわけではありません。

 

日本人に対する講演、スピーチであればこのような話かたでも良いのかもしれません。

しかし、これらのスピーチに本人の話はまったくといっていいほど出てきません。

 

その人がどういう人なのかがよくわからないのです。

役職や仕事の内容、その人の気持ちはわかるのですが、その人がよくわからない内容になっています。

 

まとめ

世界の人々の心を動かすスピーチの多くには自分の話が含まれています。

伝えたいメッセージへの導入部分、スピーチの冒頭に自分の話をしているのです。

しかし、日本人のスピーチにはそれがありません。

 

既にお伝えしましたが、日本人のスピーチが悪いスピーチであると言っているわけではありません。

しかし、外国人、世界の人々の心を動かしたいのであれば、日本人向けのスピーチをそのまま訳して、話すだけでは通じないのです。

もしかしたら外国人は役職や仕事内容、業績と同時に、その人の人となりをも踏まえて、スピーチを聞くに値するスピーチなのかを判断しているのかもしれません。

 

もちろん、スピーチの内容についてもTPOが重要になってくるのでしょうが、外国人の名スピーチの多くには自分の話が含まれています。

外国人向けのスピーチにはぜひ自分の話を入れ込むようにしてみましょう。

 

 

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